高校時代のけががあったからこそ、今の自分がある
川上 拓斗 さん
NPB正審判員 (BCリーグ-NPB)
プロ野球審判員として活躍する卒業生 川上拓斗さん。
好きな野球に携わり、周りの人や
支えていただいた人たちが喜んでくれるのが
自分にとっての喜びだという川上さんに、
高校時代の思い出やこれからの目標について
お聞きしました。
野球部の監督は、僕の人生を変えてくれた人かもしれない
野球審判員を目指すようになったのは、高校2年のときけがをして練習試合で審判を任されたのがきっかけ。野球部のコーチから「川上、上手いからプロの審判員になってみたら?」という話をいただいて、その当時のBCリーグの審判部長が中越高校の大先輩だったという縁もあって目指しました。
高校時代は基本的には野球一色でした。仲間たちと遠征に行ったことや校内合宿もいい思い出です。ただ、野球部の監督は「野球部員である前にいい生徒でなくちゃいけない」と言っていました。修学旅行や文化祭、体育祭では、積極的に役員やリーダー的な存在を野球部全体が買って出ていました。
高校時代に監督が言っていた言葉は今でも覚えていて、今は、後輩に教えるときに使うことがあります。監督が「自分のやりたいこと、成し遂げたいことを言葉にしろ。言葉や感情に細胞が従う」とよくおっしゃっていました。「人は本気になったら何でもやる」という言葉も心に残っています。監督は、僕の人生を変えてくれた人かもしれないです。
BCリーグに入ってからNPBのアンパイアスクールを3回受けて、3回目に合格しました。「とにかく一生懸命やって、絶対NPBに入るんだ」という強い気持ちでチャレンジしました。
今後の中期的な目標は、一軍の試合に出ること。それから、日本の最高峰の舞台である日本シリーズに出場すること。そして、僕はやっぱり新潟が大好きなので、新潟の試合に出て、「新潟出身で中越高校出身にこういう人がいるんだな」と少しでも思ってもらえたら嬉しいし、こういう仕事があるんだなということを少しでも知ってもらいたいです。
2022年8月のファーム阪神×巨人(三条パール金属スタジアム)
©新潟野球ドットコム
中学生・高校生の皆さんへのメッセージ
何かに一生懸命になるのはものすごくいいことだし、学生時代に何かを一生懸命やることは、大人になって絶対生きてくると思います。僕は、一生懸命やっていたことが仕事になりましたし、一生懸命やったことから何かを得て新しい道に進む人もいるでしょう。一生懸命やることで、いろいろな気づきや発見があると思います。
一生懸命やらないと失敗も生まれないし、失敗からじゃないと学びもないですから。「失敗を恐れずに!」と思います。僕も、けがをしたことが今の仕事につながっているので、「けがしてよかったな」と思います。今の僕があるのは中越高校に入ったから。僕だけではなく、周りの同期や先輩、後輩も、「中越高校で学んだことが社会でとても生きる」と言っています。とてもいい3年間でした。
2019年4月イースタン戦で高津臣吾監督&松井稼頭央監督と
©新潟野球ドットコム
一生懸命やれば気づきや発見がある。
失敗を恐れないで何かに取り組んで!
▲ 後列中央が川上さん アンパイアスクールの同僚たちと