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2023.02.10 校長ブログ

はぎの通信 No.4(playとstudyについて)

 

はぎの通信 No.4 (R5、2.10)

 

中越高等学校長 萩野 俊哉(はぎの・しゅんや)

 

playstudyについてAbout ‘play’ and ‘study’

 

 皆さん、こんにちは。3年生の皆さんは卒業式まであと限られた日数しか登校日がありませんが、今はどのように過ごしているのでしょうか。大学入試本番で忙しく、また、緊張を強いられる日々を過ごしている皆さんも少なくないと思います。学校から、教職員一同、そして後輩たちみんなで応援しています。ぜひ全力を尽くして、最後まで頑張ってください!

 この校長ブログ「はぎの通信」もやっと第4号となりましたが、「短くてもいいので、もっと頻繁に発信してほしい」という要望もあり、少し頑張ってみようかと思っています。

 英語にplayという単語があります。皆さんは部活動や日頃の生活の中で、スポーツをしたり、楽器の演奏をしたりすることがあると思います。英語で言えば、play baseball,play handball, play football [soccer], 楽器であれば、play the piano, play the guitarなどと言いますね。そして、それらを日本語に訳すとき、一般的には「野球をする」とか「ピアノを弾く」となります。ところが、playという英単語は、もともと「楽しみのために~をする、楽しむ」という意味なのです。実際、15世紀くらいの英語では、たとえばplay at the tennisという言い方がふつうで、これは「テニスという競技をして[=テニスで]楽しむ」という意味で用いられていましたが、時がたつにつれて“at the”が「擦り切れて」消滅してしまい、現在のようなplay tennisの形になったのです。ちなみに、今でもその形は、play (at) chess, play (at) war(戦争ごっこをする)などの形に残っています。

 このように、もともとスポーツや楽器演奏などは「楽しむ」ためのものなのです。皆さんは、楽しんでそれらを行っていますか。もちろん、「楽しみ方」はいろいろあります。みんなでニコニコ笑いながら、適度に身体を動かしながら、勝敗などには拘らずに運動を楽しむという楽しみ方もあるでしょう。しかし、とことん勝ちに拘り、そのためのきつくて地味な練習の積み重ねの日々の中に、「楽しみ」が見いだせるかどうか。そもそも、その「勝ち」というのは「誰[何]」のためのものなのか。今、日本の学校教育における部活動のあり方は、このような点においても岐路に立っていると感じています。

 本校の校風は「文武一如」です(「一如(いちにょ)」とは、現象としては違うが、根源においては1つである、という意味)。「文」のstudyは「熱中する、努力する」のラテン語 studeoに由来します。つまり、studyは自分から情熱を燃やして勉強するという意味なのです。playにせよ、studyにせよ、そもそもはとても「主体的」かつ「積極的」なものなのです。

 今日もまた、少し説教臭くなりました。すみません。読んでくれて、ありがとうございます。

以上