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2023.08.21 校長ブログ

はぎの通信 No.38(「寛容さ」と「柔軟さ」)

 

はぎの通信 No.38 (R5. 8.21)

 

中越高等学校長 萩野 俊哉(はぎの・しゅんや)

 

「寛容さ」と「柔軟さ」(Generosity & Flexibility

 

 夏休みも終盤。いかがお過ごしですか。本当に暑い日が続きますが、くれぐれも熱中症などにはご注意を。健康に気をつけて、元気で2学期を迎えるようにしましょう。

 

 さて、今日はちょっと「硬い」話かもしれません。読んでいただけると嬉しいです。

 

 アメリカの詩人ロバート・フロストの詩の一節に、To be social is to be forgiving.という言葉があります。socialというのは、社会的地位を保ったり、社会的義務を果たす上での「交際上手」という意味。したがって、このフロストの言葉は、そのような意味での「交際上手」になるということは寛容になるということである、という意味を表しています。この言葉は、「許す」という行為がいろいろな人間関係においていかに大切なものであるかということを説いています。

 

 私たちは人とのかかわりの中で、ちょっとした意見の対立や考え方の違いがあったとき、腹を立て相手を憎むことがあります。時には、自分の痛い部分に触れられて、「許せない」と怒ることもあります。しかし、この世は自分の価値観だけで成り立っているのではなく、まして、自分の印象だけがすべてなのではありません。さまざまな人がいて、さまざまな考え方があるのです。メキシコのことわざの言うとおり、まさに「アイデトード」(いろいろある)なのです。多様な価値観を寛容に認め、自己の考え方に合わないものに対しても、一歩引いて許容できる懐(ふところ)の深さをもちたいものです。

 

 社会生活におけるさまざまな人間関係を考える際にもうひとつ大切なことは、自分の考え方を柔軟に修正していけることでありましょう。私たちはえてして、自分が信じるものを絶対と考えて、他の意見や忠告に聞く耳を持たないことがあります。自分が間違っていると認めることは敗北を意味すると思い込んだり、自己の価値を下げるような気がして、意地でもそれに拘泥(こうでい)しようとします。しかし、自分が誤っていることを知ったなら、また、自分の考えより優れたものに出会ったなら、柔軟にそれまでの自分の意見や態度を軌道修正していける力が必要です。そのようにして、私たちの考え方は膨らみ、そして、より複眼的になっていくのです。

 

 しかし、「寛容に」「柔軟に」といっても誤解してはならないことがあります。それはまず、「寛容さ」は「甘やかし」ではないということ。相手を許すことが、その人をだめにするなら厳しく対すべきです。そして、意見が異なる場合は、それを受容しつつ徹底的に話し合うことが大切です。何もかも簡単に許し受け入れることが寛容なのではありません。

 

 あと一つ、忘れてはならないのは、「柔軟さ」は自分に確固とした信念がなければ、それはただの「軟弱さ」にすぎないということ。こう書くと、上に述べたことと矛盾するように響くかもしれませんが、柔軟に意見を修正することと、魂を売り渡すこととは別なのです。風向きや波の強さに応じて、船の舵を西に東にとりながらも、自分の針路は常に一方向に見据えていなくてはならないのです。『論語』の「子路」にある言葉「君子は和して同ぜず」は、まさにこのことを鋭くついた言葉です。それは、「立派な人は、他の人と協調するが決して自分を失って付和雷同はしない」という意味です。「和而不同」と書くときもあります。

 

 私たち皆が日々学ぶのは、真の寛容さと柔軟さを身につけ、まさにこの「和同の精神」を具現化するためではないでしょうか。

 

以上