はぎの通信 No.49(がんばったら、くやしい)
はぎの通信 No.49 (R5. 11.6)
中越高等学校長 萩野 俊哉(はぎの・しゅんや)
がんばったら、くやしい(Are you doing your best?)
11月に入ったとはいえ、秋とは思えない暖かい(暑い?)日が続いています。今月には2学期末の考査も控えていますね。
皆さんはこれまでたくさんの考査やテストを受けてきました。それまでの授業や試験に精一杯の努力をして臨み、満足の行く結果が出た人はきっと「がんばってよかった」と爽快な気分になったことでしょう。頑張りが報われた時の快感は何ものにも代えがたいものがありますよね。そんな時には、自分が一回り大きくなったような気がして、「よくやった」と自分で自分を褒めてやりたくなるものです。自信が湧き、「自分もやればできるんだ!」と、前向きな気持ちが持てるのもこのときです。がんばっていい結果を出した人を、私も心から祝福します。
でも、怖いのは「過信」です。「テスト前にがんばっただけで、あれだけできた」と思うと、もうそれ以上はできなくなってしまうものです。それどころか、次第に最初の達成感や充実感は薄れ、現状で満足してしまい、もはや進歩を望む気持ちはなくなってしまいます。せっかく盛り上がった向上の芽がしぼんでいきます。
人間は、努力によって勝ち取った「高さ」をステップにして、より高い所を目指さなくてはなりません。同じ高さを飛び続けていると、人生のいろいろな機会を見逃したり、さらなる高みを手の届かないものにしてしまいます。がんばってよい結果を出したのなら、もっと普段からがんばって、もっとよい結果を出す努力を惜しんではいけません。短い間の努力で得た結果より、長い時間をかけて出した結果の方が何倍も充実感は大きく、次のステップにつながるのです。
がんばったけれど満足のいく結果が得られなかった人は、ものすごくくやしい思いをします。あれほどやったのに試験になると思い出せなかった、一生懸命やったところが試験に出なかった、答え方を間違えてしまったなど、自分自身に対して腹立たしい気持ちを持つと思います。その気持ちはよくわかります。でも、それでいいのです。がんばったから、くやしいのです。努力をしたからこそ情けない気持ちにかられるのです。こういうことは、みなさんが生きていく中で、しばしば起こります。いえ、むしろ努力が報われないことの方が多いと言ってもよいと思います。その時に大切なことは、そのくやしい思いを投げやりなあきらめにせず、次の努力のための栄養分とすることです。心の底からの無念さやくやしさをバネにできる人は強い。「今度こそ」と思えれば、より周到に慎重に対策を練れます。その姿勢が、次のチャンスによい結果を生むのです。次にだめでも、気持ちが持続すれば、近いうちに必ず爆発的な成果をもたらします。「くやしい」気持ちが持てることは幸せなことです。なぜなら、そこには確実に「進歩の芽」があるからです。そして、その「芽」を育むのは皆さん自身だということをどうか忘れないでください。
最後につけ加えます。もう皆さんもお気づきの通り、ここまで私が述べたことは、考査やテストや勉強に関してのみ当てはまることではなく、スポーツ・芸能・芸術・音楽等の世界や、運動部・文化部などの部活動の世界にも当てはまることです。「がんばったら、くやしい」。そして、そのくやしさが、次への成長の糧となります。
今日の一言
できることでもできぬと思えばできぬ。
できぬと思えても、できると信ずるがためにできることがある。
(三宅雪嶺)
以上