はぎの通信 No.101(「走る」ということ )
はぎの通信 No. 101 (R6. 12.9)
中越高等学校長 萩野 俊哉(はぎの・しゅんや)
「走る」ということ (What do I run for?)
12月4日(水)の、本校陸上部駅伝チームの壮行会の時にお話をしたことは、私自身「走る」ことを趣味にしていますので、その「走る」日々から日頃感じていることも含めてお話をしました。
まず、走ることは「自分との対話」だと思います。私は、走りながらこんなことを考えます。「今日の体調はどんなだろう。昨日は走っている時に、後半、お腹に痛みが出てきたけれど、今日はどんなかな...」「今日は風が気持ちいいな。ちょっとコースを変えて、あの景色を見に、少し遠くへ行ってみようか...」「例のあの件はどうようかなぁ...いや、『どうしようかなぁ』じゃなくって、まあ『どうしようもない』のかなぁ...」などなど。いろんなことが頭の中に湧き上がってきます。そうかと思うと、時としてまったく何も考えていない「無」の境地になって走っている時もあり、不思議とそういう時にいいひらめきやアイデアなどが突然思い浮かんだりします。
次に、走ることは「自分との闘い」だとも思います。まず、「今日はいろいろ精神的に疲れたし、休みたいし、ちょっとサボろうかなぁ...」という自分との闘いがあったりします。あるいは、走り出してみて、「いやー、今日はきついなぁ。早めに切り上げて、今日はもうランニングはやめようかなぁ...」という自分自身にギブアップしたいという心との闘い。そして、究極の自分との闘いは、「何で自分はこんなふうにつらい思いをして走っているのだろう...なぜ、なぜ、なぜ...。こんなにキツイならもう走るのなんてやめてしまえばいいじゃないか!」というもの。
人それぞれ「走る」理由はさまざま。「走らない」理由もさまざま。それも含めて、やっぱり「走る」ということは、「自分との対話」と「自分との闘い」だと思うのです。
以上