はぎの通信 No.106(人生の選択②)
はぎの通信 No. 106 (R7. 1.20)
中越高等学校長 萩野 俊哉(はぎの・しゅんや)
人生の選択 (The Choice of Life)②
先週と今週は、標記のテーマで書いています。今日は、その2(②)です。
先週は、2つ(またはそれ以上)の進む道から一方を選んだ後に、どう考えていくべきかについて私の考えを書きました。小さなつまづきでくじけてしまって、その道を選んだことを後悔するのではなく、選んだ道を一生懸命に歩いていくことが、その選択を肯定することにつながる、という内容でした。
今日は、そのような人生の大きな選択ではなく、日常のありふれた選択について述べてみたいと思います。
私達の生活は、言ってみれば1秒1秒が選択の連続です。朝、目覚ましが鳴ったときに飛び起きようか、もう少し床の中にいようか。朝ご飯を食べていこうか、食べないで行こうか。授業中ノートを取ろうか、休み時間に寝ていようか、保健室に行こうか、放課後、友達の誘いに応じて遊びに行こうか、家へ帰ろうか。これから勉強しようか、SNSをしようか、ゲームをしようか...。きりがありませんね。2つ(あるいはそれ以上)の選択肢の中から、その瞬間ごとにどちらかを選んで行動しているのです。しかし、これらの選択は、必ずしもじっくり考えて行っているわけではありません。そのときの気分や衝動で、あまり迷うことなくしています。
このような小さなことは「人生の選択」というテーマにふさわしくない、と思うかもしれませんね。でも、違うのです。このようなことこそ「人生の選択」に他ならないのです。その理由(わけ)をお話いたしましょう。
人間には「楽をしたい」という気持ちが誰にもあります。ですから、つらいことと楽なことのどちらかを選択する場合、たいてい楽なほうを取ってしまいます。ここでよく考えてください。いつもいつも楽なほうばかりを取っていればどういうことになるでしょう。つらいことを避けてばかりいると、その人は常に楽な方しか「選べなく」なってしまいます。そうして、そのような物事に対する姿勢が、一生の方向を決めていくのです。一つひとつの選択の積み重なりが「人生の選択」なのです。
作家の三浦綾子氏は「進学・就職・結婚など、熟慮を要する選択だけが重要なのではない。むしろ選択の意識すらも働かないほどの日々の小さな選択のほうが重要かもしれない」と言っています。同じく作家の吉本ばなな氏の『キッチン パート2』にもこんなくだりがあります。「人はみんな道はたくさんあって、自分で選ぶことができると思っている。選ぶ瞬間を夢見ていると言ったほうが近いのかもしれない。しかし、決して運命的な意味ではなくて、道はいつも決まっている。毎日の呼吸が、まなざしが、繰り返す日々が自然と決めてしまうのだ。」
私たちは本能として、未知なるものへの好奇心をもっています。その好奇心の「芽」を自ら摘んでしまうことは避けなければいけません。「もったいない」ことをしてはいけないのです。と同様に、一瞬一瞬の選択から逃げてはいけないのです。「誰かが決めてくれる」「言いなりにしていればいいのだ」という態度から、果たして納得のいく満足のできる人生が送れたと、後からふりかえることができるのでしょうか。
「迷ったら前に出る」。これはかつてプロ野球チーム「東北楽天ゴールデンイーグルス」の監督を務めていた星野仙一氏が、「阪神タイガース」の監督をしていて平成15年(2003年)にチームをリーグ優勝へと導いたときに、あるTVインタビューで語っていたことです。今でもよく覚えています。私はこの言葉が大好きで、私自身、人生の選択に迷うときがあると、この言葉を思い出して自らを叱咤してきました。それがよかったのか、悪かったのか、正直まだわかりません。でも、いずれ私も、それなりに自分の人生における選択を肯定する境地に至りたいものだと思い、努力しています。
以上