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2025.03.04 校長ブログ

はぎの通信 No.112(令和6年度中越学園中越高等学校卒業式校長式辞)

 

はぎの通信 No.112 (R7. 3.4)

中越高等学校長 萩野 俊哉(はぎの・しゅんや)

 

令和6年度 中越学園中越高等学校卒業式 校長 式辞(Graduation Ceremony Speech

 

  本日(3月4日)は本校の卒業式でした。お陰様で、260名の卒業生を無事に送り出すことができました。卒業生の皆さん、ご卒業改めておめでとうございます。そして、関係各位の皆様、本日は大変ありがとうございました。

 

 さて、今日のブログでは、その卒業式での私の式辞を文字にして紹介します。よろしければお読みください。

 

式 辞

 

 二月中の大雪を経て、厳しい冬もそろそろ終わりを迎え、ここ長岡の街にも少しずつ春の息吹が感じられるこの佳き日に、卒業証書授与式を挙行できますことは、私たち教職員にとりましても、この上ない喜びであります。ご多用中ご臨席賜りました、学校法人中越学園理事長・村山光博(むらやま・みつひろ)様を始めとするご来賓各位の皆さまに、まずもって深く感謝申し上げます。また、誰よりも卒業を心待ちにしておられた保護者の皆様やご家族の皆様に心よりお祝い申し上げますとともに、本校へのご支援とご協力に改めて厚く御礼申し上げます。

  さて、先ほど卒業証書を授与いたしました二百六十名の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。いろいろな思い出を胸に本校からの「巣立ち」を迎えた卒業生の皆さんの未来に幸あれと心より願っています。

 在学中、皆さんがたくさんの喜びと楽しみを味わいながら、また同時にさまざまな困難を乗り越えて卒業にたどり着いたことは、皆さんの生涯のかけがえのない財産であり、また、手にした証書は努力の証であります。卒業という目標を達成した誇りと自信を胸に刻み、また同時に日夜を問わず、温かい愛情をもって励まし支えてこられました保護者・ご家族や先生方、さらには地域の方々を含め、日頃より物心共に熱いご支援や励ましをいただいております同窓会や後援会を始めとする多くの方々にも思いをいたし、感謝の気持ちを忘れることなく、一層の精進を積み重ねるよう期待してやみません。

  さて、本日は卒業式ということで、私から皆さんへのはなむけとして、一篇の詩を贈りたいと思います。それは、昨年十一月にお亡くなりになった、日本を代表する詩人の一人である、谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)さんの「未知」という詩です(「未知」というのは、「まだ知らないこと、まだ知られていないこと」という意味の「未知」です)。

 

未知 (谷川俊太郎)

 昨日までつづけてきたことを

 今日もつづけ

 今日つづけていることを

 明日もつづける

 そのあたり前なことに 

 苦しみがないと言っては嘘になるが

 歓びがないと言っても嘘になるだろう

 冬のさ中に春の微風(そよかぜ)を感ずるのは

 思い出であるとともに

 ひとつの予感で

 昇る朝陽と沈む夕日のはざまに

 ひらひらと雲が生まれ

 また消え失せるのを

 何度見ても見飽きないのと同じように

 私たちは退屈しながらも

 驚きつづける

 もしも嫉妬という感情があるのなら

 愛もまた存在することを認めればいい

 足に慣れた階段を上がり降りして

 いくたびも扉をあけたてし

 ごみを捨て

 ときには朽ちかけた吊橋を渡って

 私たちは未知の時間へと足を踏み込む

 どんな夢も予言できぬ新しい痛みを負いつつ

 

  このような詩です。日常の何気ない仕事や勉強、あるいは作業の繰り返しの中で感じる退屈さ、しかし、それはまた同時に未知への扉をひらくチャンスに満ち溢れている日々でもある。その扉のノブに手をかけるか、かけないか。それは私たち自身がどれほど日常生活のルーティーンの中でさえも、物事をよく「見て」そして「決断」しているかを映し出す動作でもあるのです。さらに、もし仮にその扉のノブに手をかけてあけようとしても、もしかしたらその扉は固く閉じて私たちの侵入を拒むかもしれません。たとえそうであっても、未知への扉をあけるべく一歩を踏み出すか、踏み出さないか。それは私たち自身が決めることなのです。

 皆さんにとって、未知の世界とはどのような世界でしょうか。明るい世界でしょうか。それとも、暗い世界でしょうか。私はこの詩が好きです。なぜなら、この詩にはその底流にある種の「明るさ」を秘めているからです。それは「希望」と言ってもよいでしょう。この詩には次のような「明」と「暗」という対になる概念が繰り返し語られます。

 

 「歓び」―「苦しみ」、

 「春」―「冬」、

 「朝陽」―「夕日」、

 「生まれ」―「消える」、

 「愛」―「嫉妬」、

  階段を「上がり」―「降り」

 

 ところが、不思議と「暗い」イメージに私たち読者が引きずられないのはなぜでしょうか。それはきっと私たちの中には基本的に「明るい未来はきっと築ける、やって来る」という「信念」のようなものがあるからなのではないでしょうか。しかし、同時にそれはまた、放っておいて何の努力もなく漫然と日々を過ごしていて「明るい未来」など来るわけはないのだ、という「信念」でもあるのです。痛みを伴いつつ、しかし、勇気を持って「過去」を乗り越えよう。そして、また新たな痛みを背負うことをいとわず、覚悟を持って未知への扉を開けよう。...そんな力強さのある、この詩が私は好きなのです。

 さて、保護者の皆様やご家族の皆様には色々なご心配やご苦労があったかと思いますが、こうして卒業の日を迎えた姿に感慨もひとしおのことと存じます。誠におめでとうございます。これから卒業生の進む道には、大小様々な厳しい試練が待ち受けていると思います。そんな試練に果敢に立ち向かうとき、 子どもや家族の幸せを願う心は、大きな励ましとなるに違いありません。卒業したとはいえ、社会的にはまだまだ経験が足りません。人生の先輩として子どもたちを温かく見守ってください。

  結びに、卒業生の皆さん、いよいよ本校を巣立つときが来ました。明るく、進取の精神、「若き今日 眉上げん」。本校校歌の第一番の歌詞の一節です。さあ、眉上げん! 今こそ顔を上げ、大空を見上げて、大きな希望を持って前に進みましょう。そして、「越高 ファイト! もう一歩その先へ!」恐れずに前に進みましょう。社会は必ず皆さんの活躍を必要としています。どうか皆さん、とまらない越高愛を胸に秘め、健康に十分留意され、この我らの学び舎、我らの中越高等学校で身につけた精神で、たゆまぬ前進を続けてください。それでは、希望に満ちた旅立ちの日に当たり、この学び舎を巣立ちゆく皆さんの前途に幸多からんことを心から祈念して、皆さんと同じく越高愛がとまらない校長萩野よりの式辞といたします。

 

令和七年三月四日

           学校法人中越学園

中越高等学校長 

                     萩野 俊哉

 

以上